上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)

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土浦市指定 武者塚古墳

 武者塚古墳は、桜川下流域の新治台地上に立地する7世紀中ごろの古墳です。墳丘は削平されていましたが、耕作に際して 地下に石棺の存在が推定され、昭和58年(1983)に新治村による村史編纂事業の一環として、筑波大学が発掘調査を行いました。調査の結果、石室は遺体を安置する玄室と副葬品を収めた前室からなり、箱式石棺と横穴式石室を折衷したような独特の形態をしていることが分かりました。石材は筑波山の麓で産出する片岩(筑波変成岩)が使われています。石室は盗掘を受けておらず、多くの副葬品が出土しました。前室からは、銀帯状金具、銀装圭頭大刀、銅装三累環頭大刀、鉄柄銅杓といった金属製品が出土しています。これらの金属製品のなかには、全国的にも類例の少ない貴重な出土品が含まれています。 玄室からは被葬者の頸部付近を中心にメノウ製勾玉、水晶製切子玉、ガラス小玉などの玉類が合計で96点出土しています。また、被葬者の毛髪も出土しており、当時の髪型である「美豆良」が分かる状態での出土は全国で唯一の事例です。 平成26年(2004)と令和4年(2022)に筑波大学考古学研究室が地中レーダー探査と発掘調査を行いました。これらによって、古墳の周りを周る溝(周溝)が直線的に曲がることが確認され、従来考えられていた円墳ではなく、一辺22mから23mの方墳であったことが確かめられました。桜川流域は、古墳時代後期に円墳を築造し、終末期に方墳へと変化をしており、この成果は、武者塚古墳が周辺の終末期古墳と同様の古墳築造の流れを踏襲していたことが判明しました。 現在、武者塚古墳の石室は覆屋の中に保存されており、出土品については上高津貝塚ふるさと歴史の広場に保管されています。

国指定史跡 上高津貝塚

 上高津貝塚は、今から約4,000年前から3,000年前の縄文時代後晩期につくられた、関東地方有数の大規模貝塚です。遺跡は、桜川河口域に位置し、舌状台地の斜面に沿って馬蹄形(ばていけい)状に分厚い貝層が広がっています。貝層は、1~1.5mの厚さで、汽水域に生息するヤマトシジミが9割以上を占めています。 明治33年(1900) に、江見水陰が採集資料を報告した『地中の秘密』によってその存在が知られ、昭和5年以降には大山史前学研究所が発掘調査を行いました。この時の調査記録や出土遺物は、第二次世界大戦の戦災で失われています。戦後には、慶應義塾大学考古研究会や東京大学総合研究資料館(当時)によって発掘調査が行われ、昭和52年(1977)に国の史跡に指定されました。 上高津貝塚はA~E地点の5地点に分けられます。史跡整備に伴い、平成2・3年(1990・19991)にA・C・E地点で発掘調査が行われ、貝層とともに集落跡が検出されています。特に、C地点の調査では、縄文時代中期から晩期にかけての住居跡と土坑墓が検出されたほか、完形の製塩土器が4点出土しています。製塩土器の完形品の出土例は少なく、関東地方の土器製塩を考えるうえで重要な資料です。製塩土器を含む上高津貝塚出土品は、上高津貝塚ふるさと歴史の広場の常設展示にて展示されています。
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