![]() | 江戸時代から河岸として発展をしてきた土浦の川口川。川口川が霞ケ浦に注ぐ河口の様子を写した一葉である。河口には帆柱を立てた高瀬船がみえる。高瀬船の帆をたたまれ、棹をさして航行している。他にも小さな帆をはった舟がみえる。左手は水神宮で、手前にはサッパ舟が係留されている。。タイトルの英語表記「THE TSUCHIURA RIVER-MOUTH,KASUMIGAURA」 |
![]() | 桜川堤の花見風景。土浦の料亭「霞月楼」の大きな雪洞【ぼんぼり】がみえる。右手は昭和8年(1933)に架けられた匂橋。匂橋は木橋で、水郷土浦の花見の名所としてにぎわった。 |
![]() | 戦前の桜川の花見風景。屋形船や貸しボート、霞ヶ浦沿岸各地からの船もでて、水上から花見を楽しむ人々がいた。 |
![]() | 戦前の桜川の花見風景。水郷汽船による観桜汽船の発着場付近とみられる。堤防にも川にも人が多く出ている。貸しボート屋が数軒あり、ボートをこぎながらの花見が人気であった。 |
![]() | 満開の堤防を多くの人が行きかっている。昭和7年(19322)には臨水遊歩路が完成し、水際からも桜を楽しめた。正面にかかる橋は、昭和9年に開通した国道6号の土浦橋である。 |
![]() | 咲きそろう桜の堤に多くの見物客が行き交っている。桜川堤の桜は航空隊・水郷・筑波山といった周辺の観光資源とともにクローズアップされ、春の土浦の一大イベントとなっていた。春は花見、秋は花火である。 |
![]() | 土浦八景シリーズのひとつ。旧水戸街道にかかる銭亀橋付近からみた桜川の風景。正面の社(森)は大町の道祖神とみられる。 |
![]() | 下田は現在の文京町付近の旧町名である。江戸時代に上沼があった場所で、写真の当時は一面の水田であった。具体的な撮影地は不明。 |
![]() | 土浦八景シリーズの一葉。雪の土浦城址。奥に見える建物が櫓門である。手前の土塁上に鐘楼と東櫓があった。 |
![]() | 本丸の堀と土塁ごしに櫓門(太鼓櫓)と旧新治郡役所の屋根がみえる。屋根には薄っすらと雪が積もる。明治時代末から大正時代初期の撮影か。 |
![]() | 土浦の街の背後に筑波山がみえる。手前には水田が広がっている。中央左よりの建物は料亭「日新楼」か。 |
![]() | 立田町の土浦高等女学校の校舎。現在の土浦第二高等学校。県南女子教育の中心となった学校である。もともとは土浦中学校(現:土浦第一高等学校)の校舎として使用されていたが、明治38年(1905)の土浦中学校の真鍋台移転により、高等女学校の校舎として使われるようになった。 |
![]() | 茨城県立土浦中学校(現:茨城県立土浦第一高等学校)は、明治38年3月に立田校舎から真鍋台の新校舎に移転した。茨城県技師駒杵勤治により建てられた新校舎は、現在、国の重要文化財に指定されている。 |
![]() | 昭和15年(1940)頃の桜川堤の桜と土浦橋の風景。六号国道の敷設により桜川に架橋された「土浦橋」は、昭和9年の完工である。1930年代、桜川堤の桜は土浦の観光名所になった。 |
![]() | 昭和15年(1940)頃の土浦駅前。土浦市役所本庁舎北側から亀城公園方向を望む。行き交う車のなかに乗り合いバスもみられる。右にみえる多田自動車商会は市内でバスを運行したほか、土浦-牛久間に新路線も開設した。 |
![]() | 昭和15年(1940)ごろの川口川風景。水郷土浦を代表する景観。両岸に柳を植樹して景観整備がなされ、「水の公園」と称された。現在はモール505、高架道になっている。停泊している右側の船には「江戸崎」という文字がよめる。 |
![]() | 昭和15年(1940)ごろ。昭和9年に川口川の一部は埋め立てられ、昭和10年に商店街(祇園町)が造られた。当時としては珍しい自家発電、自家水道を供えた近代的な商店街であった。通りの奥に見える建物は豊島百貨店である。 |
![]() | 左側に大正11年(1922)に建てられた忠魂碑、右側に宿り木がみえる。亀城公園では昭和10年(1935)に景観整備が行われ、瓢箪池などが造られ、水郷らしい公園が誕生した。昭和15年ごろの公園風景である。 |
![]() | 豊島百貨店はもともと土浦繭糸市場で、繭の取引が行われない時期に百貨店として売り場を設けていた。昭和11年(1936)に繭糸市場が閉鎖されてからは百貨店として一本化された。土浦町の大型店舗の先駆けであった。昭和15年ごろの風景。 |
![]() | 土浦市は昭和15年に土浦町と真鍋町の対等合併により誕生した。現在の筑波銀行の位地にあった旧土浦町役場が土浦市役所となった。 |
![]() | 昭和12年に新築された土浦警察署(立田町の現在地)を昭和15年ごろに撮影したもの。その後、昭和51年10月に現在の建物に改築された。 |
![]() | 祇園町は川口川の埋め立てにより造成され、昭和10年(1935)に町営土浦公営市場の名の下、6月1日に開店した。当事としては珍しい自家発電・自家水道まで備えた近代的商店街であった。昭和11年には6号国道と土浦駅を結ぶ亀城通りが完成し、祇園町はその中心となる商店街として発展した。 |
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